2026年8月12日水曜日

翻訳者がいらなくなることより、翻訳を学ぶ人がいなくなることが怖い

皆さん大変お久しぶりです

最後にこのブログを更新してから、気づけば2年以上が経ってしまいました。以前から読んでくださっていた方も、今回初めて見つけてくださった方も、お元気でしょうか。

この数年間、私は「英語力がなくても翻訳者になれる」「短期間で高収入が得られる」などと宣伝する詐欺まがい講座について、繰り返し警鐘を鳴らしてきましたが、商材屋たちはもう翻訳を儲かる素材だとはみなさなくなったのか、いつの間にかどこかへ行ってしまいました。

この数年の間に、翻訳を取り巻く環境はずいぶん変わりました。

このブログも詐欺まがい講座の注意喚起記事ばかりではなく、そろそろ通常運転に戻したいと思います。ですが、「翻訳そのもの」について書き始める前に、最近の「心配事」について書いておこうと思います。

「翻訳者不要論」

生成AIの発展によって、「翻訳はAIに任せればよい」「もう翻訳者はいらない」「チェックだけ外注に任せればよい」という話を、以前にも増して耳にするようになりました。実際、翻訳者の中には将来を案じ、元気をなくしている人もいます。

本当にこれから翻訳者はいらなくなるのでしょうか。私が心配しているのは、翻訳者の雇用を守ろうという話だけではありません。「既得権益を守りたいのだろう」と受け取る人もいるかもしれませんが、そうではないのです。

私が本当に危惧しているのは、「AIがあるから、翻訳業という専門職はもう、なくてもよい」という認識がこれからさらに社会に広がっていくことです。

AIが出した翻訳は、一見するとかなりうまく訳せているように見えるものもあります。しかし、自然に読めることと、原文の意味を本当に正しく伝えていることは同じではありません。文脈を取り違えていないか。用語選択は適切か。書き手の意図は本当に正しく伝わっているか。訳文をクロスチェックするには、両方の言語をしっかりと理解する人が必要です。

「AIが訳してくれるから大丈夫」と考える人が増えれば、二言語、あるいはそれ以上の言語を高いレベルで身につける人材を、時間をかけて養成しようという機運が弱くなるかもしれません。学ぼうとする人が減り、その結果、AIの出力を検証できる人も徐々に減っていくかもしれません。私が危惧しているのは、そういう流れです。

学びたい人がいても、職業としての出口がなければ続かない

もちろん、英語学習そのものへの関心は、今のところ弱まっていないように見えます。「英語は手段である」「どんな仕事をしていても英語は分かったほうがよい」「AIが発展しても英語は自分で話せたほうがいい」などと言われ、英会話スクールや英語コーチングなどのサービスは相変わらず人気です。(その「英語を学ぶ」手段の選択肢にもAIを使用したスマホアプリなども台頭してきてはいますが...それについてはまた別の機会にします)

職業として翻訳を選ぶことが「不要」または「不可能」と思われるようになっても、翻訳技術や通訳技術を学びたい人の数は、もしかしたらそれほど減らないのかもしれません。

けれども、通訳や翻訳は、ほかの「本業」を持ちながら片手間に身につけられる技術ではないと思います。語学力を磨き、背景知識を増やし、原文を緻密に読んで読み手に伝わる訳文を書けるようになるまでの養成プロセスは、AIの出力のように一瞬では完了しません。

ですから、人を養成するのであれば、その先に職業としての出口が必要です。専門技能に見合う報酬が支払われ、身につけた力を継続して磨き続けられる環境がある、というところまで含めて道筋が見えなければ、時間と労力をかけて本格的に学ぼうとする人は、やはり少なくなるのではないでしょうか。

「不要、不要」と言われて業界から去っていく人ばかりになったら、いつしか「AIの出力が合っているか見て欲しい」と思っても、頼む人がどこにもいなくなっているかもしれません。

私にできるかもしれないと思っていること

この変化の中で自分に何ができるのかと考えてみました。私はこれからも引き続き大学で翻訳を教えることを通して、いわゆる翻訳技術と言われているものを、次の世代へ渡す役割の一端を担うことは、辞めずに続けたいと考えています。

翻訳技術を教えることの目的は、今ある形での「翻訳者」を養成することだけではありません。原文で意図されている内容をしっかり伝える訳文を書く、という力は、誰もがAIを使うようになればなるほど、むしろ社会に必要になるのではないかと思っています。それは、どういう形にせよ「誰かがやるべき仕事」として残るべきだと思っています。

AIがどれだけ賢くなっても、その出力を人間の目で確かめられる存在が、この先もどこかにいてほしい。私はその一人であり続けようと思います。