2021年2月9日火曜日

翻訳をやめたいと思った時の話

 2018年頃、今より低単価でちょっとめちゃくちゃな量の仕事をしていた時期があります。3日で8500ワード とか、2日で5300ワード とか。一度無理を聞いたらそれが当たり前になってしまって毎日毎日、朝早くから夜遅くまで仕事していました。

しかも後ろの校正の工程も納期がタイトなので、常に2日に一度という高頻度での分納でした。日本時間の夜に納品なので、毎回締め切り1分前にギリギリアップロードするような生活で、納品するまでお風呂も入れないような生活でした。

そんなギリギリいっぱいの精神状態の時、2回続けて訳抜けを起こしてしまいました。

ワード 文書だったのですがソース文書を全部訳すのではなく、黄色くマーカーを引いてある部分だけ訳して欲しいというオーダーでした。そこだけ訳せと言われても翻訳対象外の部分も読まないと流れが分からず訳せないこともあり、結局全部読んで一部分だけ訳すという理不尽な仕事でした。

イレギュラーに飛びながら作業しているので、ある一文の後半部分だけ抜けを起こしてしまいました。ワード 数にすると10ワード ほどだったのですが、チェッカーから差し戻されました。

コーディネーターさんから指摘が来たのですぐに謝ってその場で訳し、ファイルを更新して送り直しました。

数日後、また同じプロジェクトで訳抜けを起こしました。もう、毎日11時間以上働いていて、ヘトヘトに疲れていました。毎日当然のように2000ワード 、3000ワードの仕事を振られて、フラフラになっていました。普段訳抜けなど絶対起こさないように注意していますが、キャパを超えた仕事をしていて集中力も切れてしまっていました。

2度目の訳抜けも大変申し訳ない、と平謝りに謝って送り直しました。ミスをさておいてこんなことを言うのも何ですが、私がチェッカーなら差し戻さず自分で訳を足してあげたなあ、というくらいの分量でした。

しかし、このチェッカーは相当頭に来たのでしょう、コーディネーターさんに「2度も訳抜けを起こすなんてこの翻訳者の資質は大丈夫なのか、甚だ心配だ」というフィードバックをしました。それを何の加工もなくそのまま伝えられました。

もうそこで私はプツン、と糸が切れてしまいました。1日3000ワードの翻訳は、決してホイホイ受けていた訳ではなく、申し訳ない、今日は手がいっぱいですと言っても、そこを何とかお願いできないか、あなたしかいない、と泣きつかれ、メールを5往復も6往復もして、最後に私が分かりましたやりますと言うまで食い下がるので、泣く泣く引き受けていました。

(ある時はインフルエンザになったから休みたいと言ったら、3日後にもう治ったかとメールが来たのには殺す気かと思いました。)

とにかくそんな状態になるまで無理やり詰め込まれて仕事をしていたのに、訳抜けを指摘されて「資質は大丈夫か」とまで言われて、部屋にその時誰もいなかったので、その場で私はワーワー泣いてしまいました。私はもうだめだ、この仕事向いてない、辞めたい、と思いました。そしてその場で「もうわたしには能力がないのでこの仕事辞めます。あなたの会社から登録を抹消してください」とメールしました。

慌てたチームは、普段わたしと1番やり取りの多かったコーディさんから連絡をよこしました。これまでどんなに助かったか、感謝していると長々と述べて、要するに引き止められました。

登録抹消ということはできないのだな、と悟った私は、もういいや、残したければ残してくれ、と開き直り、彼女に「分かった、その代わり、一度断ったらそれ以上食い下がらないでください」とお願いしました。

その条件で登録抹消はしないことになったのですが、しばらく私は放心状態になっていました。もう、翻訳は廃業しようと本気で思いました。

単価の安い会社だったので、目一杯働いても月収30万円には届きませんでした。いわゆるボリュームディスカウントというやつがあったので、大型案件は特に安くなってしまっていました。

翻訳が嫌になったというより、テレビも映画も見られず本も読めず、毎日仕事と家事だけをフルにこなして夜中にバタンと床につく、という生活が嫌になってしまいました。

もう辞めてやる、と決めたら心が軽くなりました。どれだけ打診が来ても、すみません、今手一杯です、と断りました。そのうちメールを返すのも面倒になり、自動返信でできませんという定型文を返すようにしました。時々友達から「なんか変な英文メール返ってきたけど?メアド変えた?」とLINEが来たりしました。

1ヶ月ぐらい休んだらすさんだ気持ちがだいぶ落ち着いて来ました。さて、どうしよう、違う仕事を探そうか、と思っていたら別の会社から「登録しませんか」とメールが来ました。このとき、偶然なのか神のお導きなのか分かりませんが、3社ほどからお話をいただき、一気に新規取引先が3社増えました。

単価も恐る恐る希望を言ってみると、そのまま通りました。その3社もタイトな納期の仕事の打診はありましたが、できないと断ると「そこをなんとか」などと食い下がったりせず、一度で引き下がってくれて、精神衛生上もとても助かるようになりました。

1ヶ月休んだら気づいたら仕事を再開していました。またはじめてみるとやはり翻訳の仕事が好きだなあと思い、あの時勢いで辞めてなくて良かったと思いました。

尋常でない量の仕事を受けるとこのように精神が蝕まれます。そして単純なミスをして顧客に迷惑をかけ、挙句の果てには「あなたたちの無理を聞いてるからこうなったのに、訳抜けぐらいでガタガタ言うなよ」と感じるような心境になっていました。プロとしては最悪です。

仕事が嫌だなあと思うとき、仕事そのものが嫌なのか、現在の仕事を取り巻く状況が嫌なのか、冷静に分析する必要があります。

忙し過ぎてお風呂に入る時間もないような生活は異常です。気づいたら昼ごはん食べるのを忘れていてお腹がグーグー鳴っていた、なんていうのも人間の生活ではありません。

もっと翻訳者としてまともな生き方があるはずだと立ち止まった時に、別のエージェントから声がかかりました。

要らないものを手放すと必要なものが手の中に飛び込んでくることがあると思います。

6 件のコメント:

  1. 翻訳家の仕事はきついと聞いていたけど、話を聞けば聞くほど恐ろしい。

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    1. 怖がらせてしまってすみません、今はこの時よりは状況は改善しました。
      この時は一番ひどい状況だった時です。

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  2. "ワード 文書だったのですがソース文書を全部訳すのではなく、黄色くマーカーを引いてある部分だけ訳して欲しいというオーダーでした。そこだけ訳せと言われても翻訳対象外の部分も読まないと流れが分からず訳せないこともあり、結局全部読んで一部分だけ訳すという理不尽な仕事でした。"自分で翻訳したことがないお客さんだったんですね。

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    1. そうだと思います。ああいう風に一部だけ訳せと言われるのは本当に大変でした。今でも差分翻訳といって、去年の資料に一部変更になった部分だけ削除したり追加したりという案件が時々あります。

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  3. おなじ境遇を抱えていた方がいることに気づかせていただきありがとうございます。

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    1. コメントありがとうございます。私としては壮絶な体験でしたが同じような思いをしている人に届いてよかったです。相手あっての仕事ですが、あまり相手のペースばかりを優先して自分を見失うようなら、取引を考え直してもいいかもしれません。

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