2022年10月8日土曜日

自分はなぜ翻訳をやっているのか

 JTF翻訳祭(#JTF31fesカセツウさん、テリーさん、佳月さんのセッションをリアルタイムで視聴。翻訳者のキャリアパスのどのステージにいる人にも刺さった内容だったのではないかと思います。


●自分はなぜ翻訳をやっているのか
を、改めて考える機会になった人も多いと思います。私はテリーさんに近くて、「翻訳をやりたいから翻訳をやっている」と思います。

別の場所で話したこともありますが、私は以前通訳者を目指していました。通訳学校に断続的に計10年通ったのですが同時通訳者は自分には無理だと悟り、結婚・出産を機に見切りをつけて翻訳に大きく舵を切ったという経緯があります。ですから「自分が本当にやりたいことは何か」という質問は私にとって普段触れないにようにしている禁断の質問でもあります。

ですが、今日のように刺さるセッションを視聴すると「自分にとって仕事とは何かという問いに向き合わざるを得なくなります。

私は小学6年生の時、当時テレビで放映されていた「夜のヒットスタジオ」という番組で毎週登場する海外アーチストについて出てくる通訳者の田中まこさんという方を見て「かっこいい!あの人になりたい!」と衝撃を受け、英語の道を志しました。地元の公立中学校で普通の英語の授業を受けて高校受験を迎えましたが、そのころから英語を集中的に学びたいという思いが高じて当時誰も出身中学から受験した生徒のいなかった「名東高校 英語科」を志望しました。受験データがないので担任の先生からも部活の顧問の先生からも反対されましたがどうしても受けたいと言って、私立のすべり止めを確保してから受けることを条件に挑戦し、合格しました。そうして英語漬けの高校生活を送り、大学も地元の県立大学の外国語学部に進み(ここでなぜかオードリー・ヘプバーンに憧れてフランス学科を目指してしまうのですが)、卒業後の進路も英語を使うことを条件に選んできて、人生の半分以上を語学屋として費やしてきました。

25歳で通訳学校の門をたたき、37歳で通訳者になることを諦めるまでの12年間、いつも私は「未来のために頑張る生活」を続けていました。人生の最終目標である「同時通訳者」になるまでは自分の人生を生きている感じがしていませんでした。時間にもお金にも気持ちにも余裕がなく、使うお金と時間と精神的余裕はすべて通訳者になるための教材や機会や勉強に費やしていて、遊んだりダラダラしたり無駄遣いしたりすることに常に罪悪感を持っていました。

最終的に諦めたのは、仕事と睡眠と食事(と入浴など日々の生活に必要な最低限の諸々のこと)以外のすべての時間を勉強と通訳学校の予習に充てるという半狂乱のような半年を過ごしても同時通訳のクラスで進級できなかった時です。脇目もふらずに勉強してもなお、自分には到達できない領域があると知り、挑戦を止める決意をしました。自分としてはもうこれ以上できないというくらい頑張ったので、清々しい気持ちでした。

それから翻訳一本に絞って12年が過ぎました。以前の顧客から通訳をやりませんか(アテンド通訳など、逐次の仕事です)と連絡が来ても子育てを理由に断ってきました。「外に出られないので」という理由で断ってきたのですが、コロナで事情が変わりました。

以前通訳学校で一緒だった勉強仲間はその後も頑張って勉強を続けてクラスを卒業し、同時通訳者として活躍しています。子育て期間を経た人もいますが、コロナ禍を経て機材も揃えて自宅からリモートで通訳の仕事をすることもあるようです。

そうなると「家から出られないので」という物理的理由がなくなります。子育てを理由に通うのをやめてしまっていた通訳学校にもオンラインでなら通えることになります。実際、コロナ禍が始まった当初の2020年は通訳学校にオンラインで復帰することも考えました。

しかしやはり、「自分なりに最善を尽くした結果、限界を見たので撤退することにした」という自分の気持ちも大切にしたいという思いがありました。「好きなことをできればそれで幸せ」だけでは、子どももいる今の生活を守れないと思ったのです(余談ですがコロナ禍直前の2019年暮れに離婚して現在はシングルマザーです)。

私にとって仕事は自己実現の手段のひとつではありますが、同時に日々の糧を得る手段でもあります。「夢だった同時通訳者になるまでは、何がなんでも諦めない」という30代の時の気持ちのまま突っ走ればそのまま老いて死んでしまうかもしれません。

今、私が目指しているのは「仕事の中に少しでも楽しみを見つけられて、それで自分と子どもの生活に必要な日々のお金を賄うことができて、体を壊すほど無理して仕事をしなくても、それなりに趣味や遊びに使う時間もある生活」であるので、大好きな仕事をできればそれだけで幸せというステージは過ぎたのかなあと思っています。

フリーランスとして自宅で翻訳をするという生活では、受注が切れないように顧客の新規開拓を怠らずいただける仕事に誠実に取り組み、体を壊しそうだと思えば時には仕事をお断りしたりして調整することによって、自宅で好きなドラマを見たり映画館に出かけたりする程度には余暇の楽しみも確保したいと思います。

同時通訳者という最終目標に向かってがむしゃらに努力していた頃より肩の力は抜けていて、バランスの良い生活ができているとは思うのですが、ふとした瞬間に「子どもの頃からやりたいと思っていたことを手放してしまって良かったのだろうか」という思いがよぎることもあります。

結局、どんな仕事をしてどんな仕事を断って生きていけば自分が一番納得できるのか、考えるのを止める日は来ないのだと思います。現在進行形で悩みながらこれからも生きていくのかと思うと、40歳で不惑だなんて、一体誰が言ったんだよと思います(笑)。

話はそれましたが、冒頭の自分はなぜ翻訳をやっているのかの話に戻ります。

私は映画字幕翻訳家の戸田奈津子さんのように「映画が好きだから映画の字幕の翻訳者になった」とか「●●が好きだからそれを訳すようになった」のではなく、「英語から日本語に」「日本から英語に」訳すプロセスそのものが好きだから翻訳をしています。

それは通訳をしていたころも同じです。話している内容そのものに自分はあまり興味がない場合でも、誰かにとっては大事なお仕事の話であり研究の話ですから、自分がその内容を上手く伝えることで両側にいる人たち(英語話者と日本語話者)の利益につながるところに自分の存在意義を感じていました。

それが書き言葉になっても同じく、原文の内容をいかに損なわずに等価のまま訳文に移すかという作業そのものに楽しみとやりがいを感じます。

ですから、翻訳者としての仕事を始めたころは「何を訳しても楽しい」と感じていました。

ところが、翻訳者としてキャリアを重ねてくると自分にも得意分野と不得意分野があることに気づき始めてきます。もっと言うと、好きな分野嫌いな分野があることに。経験値や自分の適性とは別のところで、「好きな分野は速く訳せる」「集中できるから効率も上がってクオリティも高くなる」ことに気づき始めました。

また、不思議なことに(まあ、不思議でもないですが)、報酬の高い仕事の方がやる気が高まり楽しくなる、ということにも気づき始めました。これは私自身、報酬の高いもの・低いもの、内容が好きなもの・嫌いなもの、と雑多なものを訳してきた経験からなのですが、「いくら楽しい内容の仕事でも報酬が理不尽に低いとムカついてきて楽しくなくなる」という気持ちも経験しました。

コロナ禍以降、それまで子育てを理由に同業者と交流してこなかった私も、オンラインでのつながりを経て色々な方と知り合って色々な情報を得るようになりました。翻訳者という働き方についてモヤモヤとしたものを常に胸の中に抱えてきたのですが、このブログを始めとして自分の考えたことをその都度書いたり口に出したりして自分の気持ちの棚卸しをする機会にも恵まれてきました。

自分が本当にやりたいことってなんだろう」と自分に問うとき、若いころは(未婚の頃は)経済的な見返りも自分の生活を成り立たせることも度外視で「どんな職業につきたいか」という理想ばかりを追いかけていたのですが、今は同じ質問(自分のやりたいこと)を問うとき、その答えは「どんな生活を送れれば自分は幸せなのだろうか」に対する答えなのかなと思っています。

今の私にとって、自分が幸せであるためには
・仕事の内容
・報酬
・仕事の時間(余暇に割くことのできる時間)

はどれも欠くことのできない条件です。ただやりたいことを目指すのであれば、歌手になりたかった、お好み焼屋さんを開いてみたかった、移動販売でコーヒーとクレープを出す店をやってみたかった、フランチャイズでドトールの加盟店になってみたかった、とかいろいろあります。でも人生残りあと数十年で全部に手を出すことは不可能です。やっぱり自分には一番好きな語学を生かした仕事で最大限幸せを追求するのが現時点では最適解だと思っています。

●仕事のやめどき
セッションの後半で「翻訳のやめどき」の話になりました。自分にとって翻訳の仕事を辞めるのはいつだろうという問いに対して、テリーさんは「勉強の意欲が失せて良い訳文が生成できなくなったとき」「市場から自分が必要とされなくなったとき」というようなことをおっしゃっていましたが、私もそれに近いと思いました。自分が世の中の役に立てなくなったときが潮時だろうと思いますし、そうなる頃には仕事の打診も来なくなるだろうと思います。

それは未来の話ですが、過去に実際、仕事を辞めたくなったときを振り返ると(翻訳をやめたいと思ったときの話)、私の場合はオーバーワークになりすぎた時に嫌気がさして辞めたくなっていました。つい最近もありました。あちらにもこちらにもいい顔をしようとして仕事を受けていると、慢性的に徹夜になって体調にも精神にも異常をきたします。

私にとって翻訳は楽しいことであると同時に仕事でもあるので、ロボットのように休みもなく働き続けることはできないと改めて思いました(改めなくても気付けよ私)。

仕事はあくまでもビジネスですから、生活が成り立たないほどの低報酬で働くべきではないと思います。単純に疲れてしまいますし、自分にとっての幸せからも遠のいていくと思います。

3人のセッションでは翻訳のクオリティの高め方や単価交渉のお話などそのほかにもメモとりまくりの内容の濃いお話が続きましたが、このブログではここまでにします。気になるかたはアーカイブセッションをどうぞ。ちなみに翻訳祭は今からでも申し込めるようですよ。(10月18日まで)



翻訳祭などのイベントは翻訳業界の入り口に立っている人だけでなく、私のように中に入ってからまあまあ長い人(笑)にとっても、新しい気づきや知見の得られる素晴らしい機会だと思います。素晴らしいセッションをありがとうございました。

—今日はここまで—

0 件のコメント:

コメントを投稿