2022年11月11日金曜日

字面訳と意味が通じる訳の違い

 私は以前から「字面で訳しても意味が通じなくては訳す意味がない」という話をしてきました。翻訳を商品として考えた場合、「意味が通じる」というのは最低限保証されるべき品質だと思いますが、発注者が軽い気持ちで「意味が通じればいいから」と言った場合、どこまでの品質を求めているのか、発注者側と翻訳者側(翻訳会社を含む)の間でズレが生じているような気がするので今回このブログを書くことにしました。

 機械翻訳等でときどき散見される「字面で訳した文章」と翻訳者が「原文の意味を考えて訳した文章」は具体的にどう違うのでしょうか。例を挙げたいと思います。

例えばこういう一文があったとします。

Many legal things are often considered unethical. 

(Macmillan Skillful Second Edition Level 3 Reading & Writing Student's Bookより引用)

 これは大学生用のリーディングのテキストからの引用です。"It's legal, but is it ethical?"という見出しのエッセイで、文脈としてはこの文(第6段落)より前の導入部分(第1段落)に

・「社会において、善悪の判断基準には法律的、宗教的、倫理的な解釈がある (There are legal, religious, and ethical interpretations that are commonly used in many societies to decide between what is good and bad.) 」

・「すべての非倫理的な行動が違法だとは限らないし、すべての合法な行動が倫理的だとは限らない(Not all unethical behavior is illegal and not all legal behavior is ethical.)」

という記述があります。

 これをヒントに、冒頭の英語を日本語に訳してみたいと思います。

「字面訳」との比較のため、試しにDeepLとGoogle翻訳にこの原文を入れてみます。

1.【DeepL訳】:多くの法的なことは、しばしば非倫理的とみなされます。—レベル①

2.【Google翻訳】:多くの合法的な事柄は、しばしば非倫理的と見なされます。—レベル②

 上の2つの訳は、文法的にはエラーはないように見えます。

 しかし「意味が分かるか」という観点で考えると私は上記2つの例はどちらも「字面訳」だと考えます。一応日本語になっているので、これでもなんとか理解できる人もいるのかもしれません。しかし、原文が訴えている内容がこれで伝わっているでしょうか。私はこれでは意味が分からないと思います。

 まず、主語の"many legal things"ですが、述部で"often considered unethical"と受けているため法律と倫理の比較という文脈ですから、ここで①のDeepL訳のようにlegal thingsを「法的なこと」と訳すと意味が通じません。Google翻訳のように「合法的な」と訳すべきだと思います。(DeepLよりGoogle翻訳の方が良いとか悪いとかいう話ではありません。機械翻訳の出力は毎回偶然の産物ですから「良し悪し」はその時によります)

 ではlegalを「合法的な」と訳した②のGoogle翻訳の訳で「ひとまずは通じる」と言えるでしょうか。私は微妙なところだなと思います。

 仮にこれをポストエディットするとなると、どこを「編集」すれば「より意味が通じる」文章になるでしょうか。

 語順を少し変えて

 3.合法的な事柄であって、しばしば非倫理的と見なされるものは多くあります。—レベル③

 としたらどうでしょうか。「多くの~」という表現を「~は多い」とした方が多少分かりやすくなったでしょうか。

 でもこれもまだ「原文が何を言っているか」を訳者がしっかり腹に落として訳していない、という印象があります。

 そうです、つまりこの文章は、「合法か違法かの境界線」と「倫理的にアリかナシかの境界線」は違う、と言っていて、合法の範囲内でも倫理的にはNGなものというのは世の中にたくさんありますよ、いうのが私が原文から受け取ったメッセージです。

ですから例えば私はこのように訳してみます。

【拙訳】

4. 合法なものの中には、しばしば倫理的に問題があるとされるものも多くあります。—レベル④(人手による翻訳

まだ硬いかもしれません。もっと踏み込めば次のようにも訳せるでしょう。

5. ものごとには、たとえ合法であっても倫理的には問題があるとみなされることは少なくありません。—レベル④'(レベル④の変形)

6. 世の中には、違法でなくとも道義的にはアウトだと判断されることは意外にたくさんあります。—レベル④"(レベル④の変形)

 いかがでしょうか。もちろん、10人いれば10通りの訳出があると思いますから、他にもいろいろと訳し方はあると思います。

 原文の意味を考えて訳したほうが分かりやすいのは、「うまく訳そう」と思って訳したのではなくて「どうすれば原文の内容をうまく伝えられるか」を考えて日本語を書いたからです。このように「分かりやすく訳す」ためには「原文を理解する」というプロセスが不可欠です。

 ですから翻訳者が原文の著者に「意味が取れないと訳せないので教えてください」と質問したときに、「意味なんて分からなくていいから直訳してくれればいいんだよ」と指示すると、全く意味が分からない訳文になりますよ、ということなのです。

 また、機械翻訳に入れても意味が分からなかったものを、翻訳者に依頼したら意味が分かりやすくなった、というのはこういう過程を経て翻訳しているからなのです。

 分野に限らず、ほとんどの職業翻訳者はこのように「内容・概念・イメージ」をつかみとってから訳出先の言語に落とし込んでいると私は思います。

 発注者が「意味が分かればいいから(そこまで手をかけて凝った訳文にしなくていいから=安くして欲しいor早くして欲しい)」という場合、上の①~④のどのレベルを求めているのだろうというところが現状、曖昧だと思います。

 これについては公的な基準を私が知る限りでは見たことがないのであくまで私の感覚ですが、

①は私の感覚では誤訳。

②はぎこちない訳? 

③はポストエディット? 

④が通常の人手翻訳

 だと思いますが、誰かが決めたわけではないので分かりません。

 発注者が「最低限意味が分かればいいから」「過剰品質は求めていない」と言ったとしても④のレベルを求めている場合はフルの人手翻訳の工数と料金がかかります。④以上にする段階で既に原文の解析は終えているので、④を④’にしたり④”にするのも実はそれほど手間は変わりません。もっと言うと、機械翻訳の②を③に修正する手間の間に④や④'にできてしまいます。

 翻訳者が翻訳に時間がかかるのは「訳文を無駄にこねくり回して品質を過剰にしている」せいではないのです。「最低限意味が通るようにする」ためには原文の理解、背景の調査、訳出対象言語での表現の決定、という一連の工程を経ているため、そこまでの作業ですでに翻訳作業の10割近くが終わっています。

 ですから作家のような文才が求められるような芸術的な文章でもない、特に産業翻訳のような場面では翻訳に「過剰な品質」などほぼ起こりえないのではないかと思います。職業翻訳者は日々、厳しい納期に追われながら「意味がしっかり伝わる文章」にするために精一杯の仕事をしています。それ以上無駄な時間をかけて訳文をひねりにひねっている時間はない人がほとんどではないでしょうか。