2022年2月20日日曜日

雇ってもらう先を探すのではなく、自分の商品を売る先を探すという視点で考える

■ 翻訳者と顧客は雇用関係にない

 翻訳者が仕事を探すとき、まずは求人サイトに行きますが、そしてそれはアクションとしてひとつも間違っていないのですが、残念なことに無事に翻訳会社に登録を果たしてもそれがすぐに仕事に直結しないことがあります。

 誤解されやすいのですが、フリーランスの翻訳者が翻訳会社に登録を果たしても、それだけでは両者の間に雇用関係は発生していません。契約書を交わし、秘密保持契約などを済ませたら、あくまで「次から何か頼みたいことがあったらいつでも頼める」状態になっただけです。

 顧客は一度頼んでみて気に入らなければ別の人に頼みますし、翻訳者も一度頼まれたからと言って次からも絶対に継続案件を受注しなければならない義務もありません(そういう契約になっている場合を除きます)。

 たとえて言うなら、新たに知り合った人とLINE交換をして、「またそのうちランチに行きましょうね」とあいさつ代わりに言って別れる状況と似ています。連絡先が手に入ったので、どちらかから誘えばランチは実現しますが、日にちを決めたわけでも店を予約したわけでもないので、お互いに何もしなければ何も起こらない、という状況と同じです。

 これに対して、正社員や契約社員、派遣社員という形態で雇用されていれば、平日午前9時から午後5時まで決まった場所に出勤して翻訳作業をするか在宅勤務でも同様の勤務時間に翻訳作業に従事するなど、雇用契約が成立した後からすぐに仕事が発生します。

 そうではないフリーランスの翻訳者にとって、「翻訳会社への登録」はあくまで「今度頼む時があったら頼みますね」という、ランチの口約束と同じ状態に過ぎず、継続的な仕事発注に結び付けるにはもうひとつ別の視点が必要になります。

■自分という商品を顧客という消費者に売るという視点で考える

 よく仕事が来ている翻訳者のことを「売れっ子翻訳者」と呼ぶように、フリーランスには売れている人と売れていない人がいます。その違いは何かというと、必ずしも日ごろから営業活動をめちゃくちゃ必死でしているかどうかの違いではなく、シンプルに「自分の魅力が顧客に十分に伝わっているかいないか」だと思います。営業など一切していないのに、口コミで評判がどんどん伝わって、仕事がいつも途切れない翻訳者もいます。

 魅力が伝わるかどうか以前に、まず「自分の存在が知られていない」翻訳者もいます。どこで売っているか分からない商品を消費者は買うことができないので、「ここで売っていますよ」と宣伝する必要があります。それが各種ディレクトリなどへの登録や自分のウェブサイト作成などにあたると思います。

 また、宣伝は十分なのに一度発注が来ても二度目がない、という場合は残念ながら商品に魅力がなかった可能性もあります。「義母と娘のブルース」というドラマをご覧になったことがある方もいらっしゃるかもしれませんが、わざと客がよく通る時間帯にパンが焼きあがるようにして匂いで客を引き寄せても、結局パンが美味しくなければリピーターはこない、むしろ宣伝した上に美味しくないパンを売ると「あそこのパンは美味しくない」という印象を持たれてしまって次から売れない、ということがあります。

 宣伝するなら良い商品を用意しなければならない、というのがまずはフリーランス翻訳者の課題です。

 「なぜ雇ってもらえないのだろう」と考えるのではなく、「自分の商品はなぜ売れないのだろう」というマーケティング目線で考え始めると、現在の自分にとっての課題が見えてくるかもしれないと思います。

■翻訳者にもマーケティングの視点が必要

 そのことに改めて気づいたのは、先日(2022年2月3日)私のInstagramアカウントでインスタライブを行った際に、そのイベントにタイトルを付けたときのことです。そのライブの目的は翻訳者志望者から翻訳者への質問を募り、複数の翻訳者でその質問に答えるというものでした。

 マーケティングに詳しいある方と一緒に企画していたので「何かキャッチ―なタイトルをつけて欲しい」と頼んだところ、「翻訳者のたまごをあたためよう」というタイトルが出てきました。

 これは素晴らしいと思ってそのタイトルを含めて事前告知したところ、想定を超える数の方に視聴いただいて、イベントは大いに盛り上がりました。

 それまでにも翻訳者志望者や学習者を対象にして翻訳者が質問に答えます、という機会はいろいろと作っていたのですが、音声SNSアプリのサービスでルームを開いてみてもいまいち質問者が現れず、アドバイスできる翻訳者ばかりが集まってイベントが終わってしまったこともありました。

 今回は新たにInstagramという媒体を使ったことの効果もあったかもしれませんが、私はこの時にタイトルの偉大さ、キャッチコピーの大切さを改めて思い知りました。

 私が翻訳者志望者の人たちの質問を拾いたい、それに答えたいという思いを持ったのは、このブログでもかねてから警告を重ねている高額な悪徳翻訳講座に引っかかって欲しくない、見えづらい翻訳者への道を示すことができればそういう変なものに引っかかる人も減るかもしれないという思いからだったのですが、これまでどうすればそういう人たちから実際に質問を受け付けることができるのか、把握できていませんでした。

 「翻訳者のたまごをあたためる」という温かいメッセージが「刺さるコピー」となって、今まで翻訳者と交流できる場を知らなかった人たちの目にまで届きました。イベントが終わってからも、「あのタイトルが良かったよねえ、ほんとに」とその人に何度言ったか分かりません。

 フリーランス翻訳者が客先に自分の商品(「翻訳」)を売りたい場合も同じだと思いました。買ってくれる人に自分を見つけてもらうというマーケティングの要素が、翻訳者にも必要ではないかと改めて思ったのです。

■自分の魅力の棚卸し

 そういう視点に立って自分の仕事を振り返ってみました。すると、「私の仕事には何の特徴もないし」「医療とか特許とかマーケティングとか、これと言って強みがない」と思っていたのですが、いろいろ考えているうちに私は以前製造業で社内翻訳をしていたことを活かせるのではないか、そして翻訳の品質を製造業の用語でたとえてみたら面白いのではないかということを思いつきました。

 私がいつも翻訳の際に心がけていることは「ちゃんと意味が分かる文章になっているか」ということでした。

 そのためにはインターネットを使った事実の裏取りリサーチや幅広く辞書で調べること、リサーチで得た情報から論理的に推理をして話の流れを見落とさずに訳していくなどの工夫が必要なのですが、分野をひとつに絞らずいろいろ受注している自分にとってもこれは一つの特徴になるのではないかと思いました。

 そういう考えをいろいろとめぐらせているうちに「意味が分かる翻訳」という言葉がふと浮かんだのですが、すぐに「当たり前やないかい!」という自分のツッコミの声が聞こえてきて、「当たり前品質」という言葉が頭に浮かびました。(当たり前品質とは製造業の用語です。これについてはまた後日別の投稿で話します)

 翻訳の当たり前の品質とはなんだろう、翻訳の品質とはなんだろう、顧客に喜ばれる品質とは何だろうと考えながら、実際の翻訳作業をしていると、いつもより良い翻訳ができるような気さえしました。

 我々職業翻訳者は普段一生懸命翻訳の仕事をして顧客に納めているので、こういったことは考えたことがなかった人も多いと思うのですが(少なくとも私の場合はそうでした)、「雇ってもらえるかもらえないか」ではなくて「自分の商品が売れるか売れないか」の視点で自分の強みを捉え直すと、見えてくるものもいろいろあるかもしれないと思った次第です。

2022年2月19日土曜日

一般の人に持たれているかもしれない翻訳者に対する5つの誤解

SNSで見かけた話や、普段私が感じている「翻訳者に対する誤解」をあげてみました。

①翻訳者って辞書なんて引かないんでしょ?

 引きます。引きます。めちゃくちゃ引きます。そんなに引くんですか、って引かれるくらい引きます(すみません、このくだりはあるツイートからからパクりました。すみません〇さん...)。

 知っているはずの単語にも知らなかった意味や語法があることがあります。英日・日英翻訳の場合、英和辞典・和英辞典でだけでなく、英英辞典、国語辞典、類語辞典、コロケーション辞典、百科事典など様々な辞書を引きます。

 自分が知っている単語などたかが知れていますから、少しでも迷ったらすぐに引きます。

 英日翻訳では私の場合、初めて見る単語に出会ったらまず英英辞典を引きます。自分が出会った文中での文脈に合いそうな定義に注目して読み、語義をつかんだ後で英和辞典を引き、そこに出ている訳語も確かめます。その後訳文に反映させたら、今度は国語辞典も引きます。その使い方で間違っていないか、原文の英単語のニュアンスを出すために使う日本語としてこれでいいか、確信を持つためです。さらに、もっと良い訳案はないかと、日本語の類語辞典も引きます。このように、知らない単語に出会った時私はざっと4種類の辞書を使います。

 さらに言うと、英英辞典は3、4種類引きます。

 私の場合、Oxford Dictionary of English、Oxford Advanced Learner's Dictionaryの後にネットのMacmillan Dictionaryを引くとたいてい解決するのですが、それでも文脈に合う定義が見つからない場合、American Heritage Dictionaryを引きます。Heritageを引くとたいていの言葉の意味が分かります。それでもない場合...(もっと続きますが今日はここまででやめておきます)

 翻訳者なのに辞書を引くなんて頼りない、心配だ、と思いますか?逆に、辞書もまともに引かずに作成された訳文って、怖いと思いませんか?

②英語(またはその他の翻訳対象言語)ができる人なら(ちょっと訓練すれば)誰でもできそうだよね

 これもよくある誤解です。ただし特別な才能がある人しかできないとか、ものすごく難しいから普通の人にはできない、とは言っていません。「ちょっとぐらいの訓練では」なかなかできるようにならない、私たちにもものすごく苦労した時期があったし今も毎日苦労している、ということです。

 とくに英語などの欧米言語と日本語の間には言語構造に大きな隔たりがあり、例えば語順が違うなど、訳しづらい要素がいくつもあります。(英独や日韓などの比較的言語構造が似ている言語なら簡単に誰でもすぐできるのか、と言ったらそうでもありません)

 言語間には文化的な背景の違いが必ずあり、便宜上使用している単語が仮に1対1で対応しているように見えても、その単語が持つ意味範囲は完全に同一ではありません。

 例えば、英語のYes/Noは必ず「はい/いいえ」で訳せるとは限りません。「あり/なし」の場合もありますし「賛成/反対」の場合もあります。

 英語のpleaseという単語も毎回「どうぞ」とは訳せず、時には「お願いします」とする場合もあります(し、場面によって訳し方は無限にあります)。

 英語の"identity"と日本語の「アイデンティティー」では意味する範囲が微妙に違います(日本語の方が語義が狭くなっている)。

 すべて文脈によって使い分ける必要があります。

 翻訳講座などに通って訳し方のコツのようなものを教わることもありますが、出てくる題材は毎回違うので、どこかで習った手法ですべての翻訳案件に対応できるわけではなく、毎回悩みながら訳します。悩んだ末にひねりだした訳語というのは翻訳者にとっては宝物のようなもので、大事にどこかにメモしておいたりするほどです。

 継続的に学習・訓練すれば、(正しい方向への)努力の量に比例して訳出は徐々に上手くなりますが、扱う分野の適性の見極めも必要ですし、実際の案件にたえうる実力を備えるまでには、比較的長い訓練期間が必要になるのがこの仕事です。バイリンガルなら誰でもできるわけではありません。社内のバイリンガルの人に気軽な気持ちで翻訳を頼むと、本人は影で泣きながら努力してやっているかもしれません。

③翻訳って英語じゃなくて日本語の勝負だよね(英日翻訳の場合)

 これは半分正しいですが、半分間違いです。英日翻訳の場合、英語ができればできるというものではないという話はすでにしましたが、かといって日本語さえ上手ければ(語彙力が豊富であれば)できるというものでもありません。もちろん、原文を読んで理解した内容を適切な日本語に置き換えるための日本語力は必要です。業界で使われている定訳を使うこと、それを調査することも必要ですが、それだけでも足りません。

 原文に書かれていることを過不足なくもう一方の言語に(※分かりやすく)置き換えること

 翻訳を一言で定義するならこうなるかと思います。(※ただし、これも時と場合によるのですが、例えば文学作品などで難解であることや意味深であることが味わいである場合、翻訳で分かりやすくしてしまっては台無しです)

 ただ、実務翻訳ではあまりそういうこと(味わいを残すために難解さも残して訳す)はないので、分かりやすく、読みやすくという部分は顧客からかなり求められる部分です。

 これは単に外国語に精通していて日本語の文章力が高ければ誰にでもすぐにできる作業ではないと言えます。

 海外生活が長かった人によくある現象ですが、日本人でも「日本語が出てこない」ということがあります。あることを言いたいのだけど適切な言葉が見つからない、というケースです。そういう時に翻訳者が適切な訳語を差し出すと「そうそう、それが言いたかった。やっぱりうまい翻訳者って日本語が上手いんだよね」と言うことがあるのですが、そしてそれは間違っていないですが、それだけではありません。

 上手い翻訳者が出した日本語が上手いと感じるのは、それが「原文を表すのにこれ以上ないくらいピンポイントで対応した訳を差し出した」からです。原文を無視して洗練された言葉や格好のいい言葉を適当に作り出したわけではなく、「原文をしっかり理解した上で適切な表現をもう一方の言語のプールから引っ張りだしてきて紐がけする力」があったからこそ、その日本語(訳語)を導き出すことができたのです。英語力と日本語力にプラスして、その2言語間に「橋を渡す作業」(2言語間の「橋」の話は以前、ランサムはなさんの言葉に出てきました)ができているからだと言い換えることもできます。

 要するに、日本語が上手いのは大前提ですが、その上手い日本語は「本当に原文が言っていることを正しく反映していますか」という話なのです。

 SNSで以前読んだ話ですが、ある会社にどんな難解な英語でもたちどころにスラスラ訳してしまうすごい人がいたと。とても読みやすく、分かりやすい文章でみんなが感激していて、と。ところがある時偶然その人が原文を目にしたところ、訳文と内容がまったく違ったというのです。恐ろしい話です。

 プロの翻訳者でこんなに極端な仕事をする人はまずいないと思いますが、社内で「ちょっと語学が得意な人」が訳すとこうなることは十分考えられます。

「日本語さえ上手ければ翻訳できるわけではない」というのはこういう意味です。

④とりあえず英語になってれば(日本語になってれば)イチから訳すより楽だよね?

 翻訳者が言われるとイラッとする言葉のひとつに

意味が分かればいいから(速く訳して)」というものがあります。依頼する人はそんなに細かい表現にこだわったりしないで細部は端折ってもいいから「書いてあることの概要をつかみたい」、できれば早くしてほしい、ということだと思うのですが、それを聞くと内心(それが一番難しいんだよっ)と思います。

 意味が分かるように訳すことでエネルギーの8割は使っています。というより、訳出の前に、原文の意味を把握するところまでで翻訳作業に使うエネルギーの8割近くを使っています。一般の人には残りの2割の表現力に注目が集まってターゲット言語の運用能力に注目が集まりがちというのは上で述べた通りですが、実は前半の読み込みと調べものに時間がかかっているというのは先日の記事でも述べた通りです。

 例えば学生アルバイトなどを使って翻訳してもらった場合、「ここちょっと意味が分からなかったのでとりあえず直訳しておきました。チェックして間違っていたら適当に直しておいてください」と渡された訳文があったとしたら、その部分は間違いなくイチから訳すのとほとんど同じ工数がかかります。

 翻訳者や翻訳チェッカーが翻訳チェックをする場合、原文と訳文の両方を読んでクロスチェックを行います。訳文だけを読んで引っかかる部分だけ原文に戻って確認するやり方をする校正方法もありますが、通常、翻訳チェックと言えば原文と訳文の両方を読みます。

 何度も言っていますが、翻訳の価値はまず「意味が分かること」です。読んでも意味が分からない文章は翻訳としての価値はありません。無地のTシャツよりプリントTシャツがいいよね〜、というようにデザインとしての文字としてなら「とにかく横文字になっていればいい」ということもあるかもしれませんが、翻訳の依頼が発生する場でそれはまずありません。翻訳を依頼する側は「意味を知りたくて」または「意味の伝わる文を作成して欲しくて」頼んでいるので、「意味分からなかったけどとりあえず適当に訳しました」という文章は、一旦消してイチから書き直しとなります。

 書いた人に下手に気を使ってその意味の分からない文を多少なりとも生かして(残して)訳文を作成してくれなどと言われた日には、かえって時間がかかることさえあります。

 プロの翻訳者が訳したものを別の翻訳者、あるいは翻訳チェッカーがチェックする場合は、基本的には「そのまま顧客に渡せるレベル」の翻訳をチェックするからこそ翻訳スピードの約2分の1から3分の1の時間でチェックできるのであって、「合っているかどうかも分からない、文法的な誤りも含まれているかもしれない、読んでも全く意味が分からない」文章に手に入れるぐらいなら、イチから訳した方がよっぽど早い、ということは少なくありません。

 他人の訳には難癖をつけたくなるだけではないのか、と言われることもありますし、実際そういうこともあります。訳文のスタイルには好みがあるので、いくら上手く訳せたと思って出しても編集者に思い切り手を入れられるということはプロの翻訳者でもあります。

 しかし、そういうレベルの校正や編集と、「そもそも意味を成していない奇怪な訳文もどきに手を入れる」ことには雲泥の差があります、ということは一度しっかり説明しておきたいと思いました。

翻訳者たちって、自分の仕事がなくなると困るから新人のやる気をそぐようなことを言ってるんじゃないの?

 全くの誤解です。仕事はいくらでもあります。きちんとした仕事をしてくれるのであれば、それこそ言っていただければ仕事先もご紹介できます。翻訳者の手が足りていない、この業界は慢性的な人手不足だ、などと言いますが、翻訳をやってみたい、翻訳者志望者は昔からたくさんいます。

 しかし、上でも述べた通り「ここ間違っているかもしれないので違っていたら直しておいてください」とか「ここ分かりませんでした」などと言うような学生アルバイト気分の人には後始末が大変なので仕事を出せないのです。

 ちゃんと訳してくれる人がいるなら訳して欲しい、翻訳待ちの資料や作品は世の中に膨大にあります。腕のいい翻訳者を確保できるなら、「あれも訳したいこれも訳したい」と思っているが、訳せる人がいないから市場に出てきていない、という仕事もおそらくたくさんあると思います。(企業内の独自用語や専門用語を社外の翻訳会社に発注して訳してもらうには機密上の問題があったり、そもそも専門的すぎて外部の人には訳せないこともありますが)

 仕事がなかなか来ない人から見ると決まった量のパイの食い合いで、仕事は早いもの勝ち、先にありつかないと取られてしまう、という世界のように感じるかもしれませんが、それも誤解だと思います

 仕事が来ない人はおそらくコスパが合わないからです。厳しい言い方になってしまいますが、払うお金以上の価値が感じられないから注文が発生しない、ということだと思います。これは市場原理です。(実力があるのに仕事と結びついていない人はマーケティング不足の可能性もあります。これについては後日別の投稿で話します)

 上手で料金も良心的な翻訳者のところには、毎日徹夜したとしても受けきれないくらいの注文がコロナ禍以降でも集中しています。私が知っている翻訳者の方も、例外なく毎日忙しいと言っています。これは自慢とかそういう話ではなく、単にコスパがいい商品はよく売れている、という単純な市場原理の話です。

 2019年から2020年にかけて大いに物議をかもし、このブログでもたびたび警告を発した悪徳翻訳講座の主宰者は受講生たちに対し、「ベテランの翻訳者たちは自分たちの仕事を奪われるのを恐れて翻訳は簡単ではない、と言っているだけだから気にしなくて良い」と指導していたようですがとんでもない誤解です。

 むしろ、断っても断っても「そこを何とかならないか、お願いだあなたしかいない」と泣きつかれて困っている、そんなことを言われてももうこれ以上は受け切れないから泣く泣く断っているが、もっと優秀な翻訳者が増えてくれればいいのに、と思っている翻訳者はたくさんいます。

 他にもたくさんの誤解がありますが、やはり一番に言えるのは繰り返しになりますが「翻訳は単なる言葉の置き換えではない」ということです。人間が原文を読んで考えて、自分の読書経験、職歴、人脈、人生経験のすべてをつぎ込んで訳しているのが翻訳です。翻訳者にモーションキャプチャーをつけて仕事ぶりを読み取ってAIに翻訳させることも、現段階ではまだできないでしょう。

 長くなってしまいましたが、翻訳者の仕事を少しでもイメージしていただけましたら幸いです。

2022年2月18日金曜日

翻訳料金は「ぼったくり」ではない―カスタマーリレーションという考え方

■翻訳料金は高い?

 「翻訳料金って(意外と)高いんですね」と言われたことのある翻訳者の方は結構多いのではないかと思います。見積りを出して欲しいと言われて出したら「えっ、結構するんですね」のような反応をされたことは、私も1度や2度ではありません。業界水準では私の単価は決して高い方ではないと思うのですが、翻訳サービスを使ったことのない人にとっては「紙1枚で〇千円もするの」「たったこれだけで△万円もするの」という顔をする方もいます(メールでのやりとりなので顔の表情は想像ですが)。

 翻訳の成果物はほとんどの場合がデータであり、食品や洋服や家具と違って「サービス」という無形の商品なので、価値が目に見えにくいところが特徴です。

 先日Twitterにも投稿したのですが、翻訳というサービスの料金には一般に以下の作業費が含まれていると考えられます。

・原文を正しく解釈するための「読み込み」作業

・内容を理解するために周辺情報を「調査する」作業

・原文を正しく伝えるために訳文を「書く」作業

・訳抜け、誤訳がないように訳出した文章を「推敲する」作業

 一般の人には上記の中でも後半の訳文を書く作業と推敲する作業しか思い浮かばないかもしれませんが、実は前半の「読み込み」と「調査」の方にこそ時間がかかっていることがほとんどです。

 翻訳とは、ある言語の文字を別の言語の文字に移し替えることではなく、原文の「内容」をもう一方の言語で読み手に伝わるように書くことだからです。

 翻訳とは

   × 文字⇒文字(変換)

  文字⇒内容理解⇒イメージ化⇒言語化

 このため、周辺調査が不十分で原文への理解が不十分なまま訳出すると、いまいち何を言っているか分からない、伝わりづらいピンボケした文章となります。

 ですからプロの翻訳者は、分かる訳文を書くためにまずは自分が原文を理解する努力をしています。

 こうしたプロセスを経て訳文が出来ていることは一般の人にはなかなか想像しづらいと思うので、「読んで訳すだけなのにどうしてそんなに時間がかかるの、どうしてそんなに高いの」と思われるかもしれないと思います。

 しかし、翻訳者は機械ではなく人間です。上から材料を入れたら下からジュースになって出てくるミキサーのような機械ではないので、訳は自動では出てきません。

 職人に作品を1点頼んだら「急ぎだから今日中に作って」とは言わないと思いますが、翻訳に関してはなぜか、原稿を読み終えたらその後すぐに訳出が始まり、訳し終えた文章が手から口からスラスラ出てくると思われがちなのですが、違います

 私たちは決して翻訳というスキルにあぐらをかいて翻訳料金をぼったくっているわけではないのです。鶴の恩返しの鶴のように、自分の羽根を1本ずつ抜きながら機織りをしていると言ったらオーバーですが、かなりのメンタルエナジーを費やして訳文を制作しています。

■そんなの知らんがな?!

 ただ、このように、顧客の目から見えづらい訳文制作の苦労の話をしても、「翻訳料金が妥当である」ことの主張としては弱いかもしれません。ですから、結婚式の見積りや引っ越しの見積りのように、「何にいくらかかっているから全体でこの値段なのか」という見積の内訳を細かく提示するのも、ひとつの顧客サービスと言えるかもしれません。

 たとえば、引っ越し屋さんに引っ越しを頼んだら10万円だと言われて高いなと感じたとします。ただ、それは梱包サービスも一切お任せするパターンの場合の話で、自分で梱包作業を行う場合だと6万円ですと言われたら、人によってはじゃあ梱包は自分でやりますと言う場合もあるでしょうし、いや、忙しいし大変だから梱包もやってくださいという場合もあると思います。

 この時に梱包ありの10万円だけを提示されたら「高いな」と思っても、梱包なしだと6万円だと分かった上で、あえて「それもやってもらいたいから」梱包ありの10万円の方を選んだとしたら、不思議と10万円は高く感じなくなると思います。

 これと同じように、この一連の翻訳作業には何が含まれているからこの値段なのかと、示すことで顧客の理解を得ることができ、顧客との信頼関係が深まるのではないかと思います。

翻訳料の見積内訳の例:

              単価    数量            価格        

・英日翻訳『(資料名)』    ◆円    〇〇ワード    △△円

・翻訳校正費                      ◆円    〇〇ワード    △△円(翻訳チェックを入れる場合)

・文書作成・レイアウト作業費   1式              △△円        

・特急料金(当日納品)              1式        △△円  

※「英日翻訳」には原文資料の周辺調査費も含みます。※価格には消費税は含まれません。

 特急料金の設定がある翻訳会社も最近少なくなりましたが、恐らくですが顧客に請求しづらいという現状があるからだと思います。

 しかし、急ぎの場合ならいくら、急がないならいくら、と値段を分けることで、急がない場合の料金を安く設定することもでき、顧客はその選択肢から選ぶことができるので、かえって顧客満足につながる可能性もあると思います。

 Amazonでもお急ぎ便は高いですが、通常配送なら少しお安くなりますと言われたら通常配送にする人もいるように、翻訳でも急ぎでない場合は少しお安くなります、というふうに納期で価格を分けるようにすれば「急ぐことは別料金」という認識がお互いの中に定着するのではないかと思います。そうすれば毎回毎回無茶な納期で疲弊することもないのではないか、と少し考えたりしています(最近そのように考え始めたところなので、納期による価格変動制はまだ実際には導入していません。今後の努力目標です)。

 これまで翻訳料金は「何にお金がかかってこの値段なのかが分からない」というブラックボックス的要素も大きかったのではないかと思います。料金体系を透明化することが、顧客満足―ひいてはカスタマーリレーション(顧客との良好な関係を維持するために行う体制づくりやそのための努力)という考え方につながっていくのではないか、と思います。

2022年2月15日火曜日

翻訳サービスが二極化していくなかで

 機械翻訳の導入が進み、翻訳サービスの価格の下落圧力が進むなか、我々職業翻訳者もこの仕事を続けていくにはなんとかしてこれで生計を立てていかなくてはならないので、色々なことを考えなければならない時期に来ていると思います。

 我々翻訳者の立場で言うと、骨の折れる仕事をしているのだからそれに見合った報酬が欲しいのですが、サービスを購入する顧客の立場で言うと、より安くサービスを提供して欲しい、そういう(企業)努力をして欲しい、つまり、より高い品質の翻訳をより安く買いたい、と考えるのは当然の欲求だと思います。

 すでに機械翻訳の導入が進んでそれがかなりマッチして機能し、機械翻訳の出力を人間が手直しするいわゆる「ポストエディット」(MTPE、Machine Translation Post-Editing)が上手くいって翻訳の「コスト削減」が進んでいる事例もかなりあると聞きます。

 一方で我々職業翻訳者は「翻訳はコストではない、信頼できる翻訳サービスを使うことで顧客が増えることもある。翻訳は投資だ」と考えます。これも間違いではなく、機械翻訳をろくに手直しもせず使って悲惨な結果になっている事例も山のように見聞きします。

 とはいえ、予算のない顧客が「出せる予算の中で最良の品質の翻訳サービスを購入したい」という場合、いくら良い翻訳でも高すぎれば頼めない、ということになります。

 そういう時、どうするのか。同じような品質を提供してくれる翻訳会社でもっと安いところはないかと必死に探すのだと思いますが、そんなに簡単には見つからないでしょう。翻訳会社も良い翻訳を提供するには良い翻訳者を確保しなければならず、良い翻訳者を確保するにはお金がかかるからです。

 顧客は何らかの形で妥協を迫られることになります。

 ■もしかしたらまともな翻訳が上がってこないかもしれないがとにかく安いところに賭けるような気持ちで一度頼んでみる。

 ■いつもの翻訳会社や翻訳者に頼む量を減らす(一部だけ頼んで他は社内で何とかする)。

 このどちらもできない場合は

 ■いつもの翻訳会社や翻訳者に「安くしてくれないか」と頼む。

 というパターンもあるかもしれません(断られると思いますが、何とかしてくれるところも中にはあるかもしれません。そういう時は影で翻訳者と翻訳会社の中の人が泣いています)。

 頼みたい翻訳の量は減らせなくて、予算もないという場合、顧客は仕方なく安い翻訳会社に流れるかもしれません。結果、とても満足だとは言えないにしろ、「まあまあこれぐらいならいいか」という程度の翻訳が得られたらまずまずの結果として、次からもそこを使い続けるかもしれません。予算と品質のせめぎ合いですが、最終的には予算的にも品質的にも一番妥協できるラインに収束していき、翻訳サービスを提供する側は徐々に二極化していきます。

 実際、この「二極化」はすでに進んでいると思います。

 機械翻訳の精度の向上とともに、コロナ禍の影響も手伝って翻訳業界に参入したい人たちが増え、安く働いてくれる人を大量に抱え込んで「短納期・低単価」で勝負する大手の翻訳会社も増えています。

 一方、短納期・低単価から脱却すべく、「うちにしかできない翻訳」を掲げて高品質で勝負する「ブティック型」翻訳会社(翻訳者)を貫くという路線でサービスを提供しているところもあります。

 「安いのが良ければそちらに行ってくださいな」「うちは高いですが品質は良いですよ」

この極端な二択から顧客は選択を迫られる事態となっています。

 「まあまあの品質でまあまあの価格で出してくれるところはないのか」

という要望に対しても、そこそこの値段でそこそこの品質のものを出すところも、あります。

 いずれにしても安ければ品質は悪いし、品質が良ければ高いしで、本当に顧客が欲しい

「安価で手に入る品質の高い翻訳サービス」は今のところ、入手困難というのが実情でしょう。

 翻訳は労働集約型産業なので、良い仕事を短時間で大量に行うことはできません。

 職人型の翻訳者が頭脳を使い、時間を使い、手間暇かけた成果物が「高品質翻訳」として高値で市場に出回っていきます。

 ここを何とかして品質を保ったままコストカットできないのか、と各方面の技術者や研究者が切り込もうとしますが、実際に翻訳作業を行う熟練翻訳者の利害と衝突するため、上手く行きません。

 翻訳者たちにも生活がかかっているので、1日の労働時間を何時間も奪われたうえ、わずかな報酬しかもらえない仕事からは逃げたいですし、将来的にもっと良い仕事をするために時間的にも金銭的にも余裕のある生活をしたいので、できるだけ十分な納期で高単価の仕事を獲得できるように各自が努力することになります。

 熟練した翻訳者が低単価で受注するのは業界のために良くない、とか、翻訳単価はいくら以上にしようなど、さまざまな工夫やアイデアが叫ばれますが、翻訳者が待遇改善を求めれば求めるほど、市場のニーズから遠ざかるというジレンマに陥ることになります。

 そこを改善しようとして機械翻訳の研究者や開発業者が翻訳者の皆さん使ってください、翻訳作業が楽になりますよなどと声をかけようものなら、機械翻訳の現状のひどさも理解している翻訳者たちからは嫌われることになります。機械翻訳の研究者や開発者たちも今こういったジレンマに陥っていて、先へ進まないのではないでしょうか。

 これからは、翻訳サービスが二極化していくのは、ある程度やむを得ないことだと私は思います。機械翻訳の導入をどんどん進めていける分野、それが可能な分野ではいくら抗っても、もうその流れは止められないと思います。そういう分野でこれまで仕事をしてきた人はそうやって出力される(つまり機械翻訳+非熟練の翻訳者たちによるPE)の結果を監督し、品質を保つようなポジションでやっていくか、いっそのこと全く別分野へと方向転換する必要に迫られていくでしょう。

 一方で、これだけはどうしても人間じゃないとダメだ、プレエディット(機械翻訳に入れるまえに主語述語をはっきりさせるなど機械が訳しやすく編集すること)やポストエディット(上で述べたように機械翻訳の出力を手直しする工程)ではどうにもならない、という分野も存在します。なくなりません。ただ、少なくなると思います。この少ない分野にフォーカスしていくのか、あるいは既存の翻訳対象文書や作品を「ここだけは人間に任せます」というふうに上手く切り分けていくことが可能になるのか。今後の流れに注目していく必要があると思います。

 ひとつ言えるのは、こうして翻訳サービスが二極化していくなかで、もはや、「誰にでもできる仕事」もっと言えば「機械でもできる仕事」しかできない人は淘汰されるか、短納期・低単価で搾取されることになっていくだろうと思います。

 私自身も例外ではないと思っています。日々の仕事に追われるだけだと、この変化についていけないのではないかと、焦る気持ちが頭のどこかにあります。

 だからこそ、1日のうち、仕事に使える時間を100%案件の受注に使ってしまわないで、いろいろな情報収集や活動、ブログ執筆や勉強など、「私にしかできない何か」ができる存在になるための努力を続けていきたいと考えています。

 翻訳者も、翻訳作業以外に「いろいろなことを考える」時間が今後ますます必要になってくるのではないか。私は今、そのように考えています。