2022年2月19日土曜日

一般の人に持たれているかもしれない翻訳者に対する5つの誤解

SNSで見かけた話や、普段私が感じている「翻訳者に対する誤解」をあげてみました。

①翻訳者って辞書なんて引かないんでしょ?

 引きます。引きます。めちゃくちゃ引きます。そんなに引くんですか、って引かれるくらい引きます(すみません、このくだりはあるツイートからからパクりました。すみません〇さん...)。

 知っているはずの単語にも知らなかった意味や語法があることがあります。英日・日英翻訳の場合、英和辞典・和英辞典でだけでなく、英英辞典、国語辞典、類語辞典、コロケーション辞典、百科事典など様々な辞書を引きます。

 自分が知っている単語などたかが知れていますから、少しでも迷ったらすぐに引きます。

 英日翻訳では私の場合、初めて見る単語に出会ったらまず英英辞典を引きます。自分が出会った文中での文脈に合いそうな定義に注目して読み、語義をつかんだ後で英和辞典を引き、そこに出ている訳語も確かめます。その後訳文に反映させたら、今度は国語辞典も引きます。その使い方で間違っていないか、原文の英単語のニュアンスを出すために使う日本語としてこれでいいか、確信を持つためです。さらに、もっと良い訳案はないかと、日本語の類語辞典も引きます。このように、知らない単語に出会った時私はざっと4種類の辞書を使います。

 さらに言うと、英英辞典は3、4種類引きます。

 私の場合、Oxford Dictionary of English、Oxford Advanced Learner's Dictionaryの後にネットのMacmillan Dictionaryを引くとたいてい解決するのですが、それでも文脈に合う定義が見つからない場合、American Heritage Dictionaryを引きます。Heritageを引くとたいていの言葉の意味が分かります。それでもない場合...(もっと続きますが今日はここまででやめておきます)

 翻訳者なのに辞書を引くなんて頼りない、心配だ、と思いますか?逆に、辞書もまともに引かずに作成された訳文って、怖いと思いませんか?

②英語(またはその他の翻訳対象言語)ができる人なら(ちょっと訓練すれば)誰でもできそうだよね

 これもよくある誤解です。ただし特別な才能がある人しかできないとか、ものすごく難しいから普通の人にはできない、とは言っていません。「ちょっとぐらいの訓練では」なかなかできるようにならない、私たちにもものすごく苦労した時期があったし今も毎日苦労している、ということです。

 とくに英語などの欧米言語と日本語の間には言語構造に大きな隔たりがあり、例えば語順が違うなど、訳しづらい要素がいくつもあります。(英独や日韓などの比較的言語構造が似ている言語なら簡単に誰でもすぐできるのか、と言ったらそうでもありません)

 言語間には文化的な背景の違いが必ずあり、便宜上使用している単語が仮に1対1で対応しているように見えても、その単語が持つ意味範囲は完全に同一ではありません。

 例えば、英語のYes/Noは必ず「はい/いいえ」で訳せるとは限りません。「あり/なし」の場合もありますし「賛成/反対」の場合もあります。

 英語のpleaseという単語も毎回「どうぞ」とは訳せず、時には「お願いします」とする場合もあります(し、場面によって訳し方は無限にあります)。

 英語の"identity"と日本語の「アイデンティティー」では意味する範囲が微妙に違います(日本語の方が語義が狭くなっている)。

 すべて文脈によって使い分ける必要があります。

 翻訳講座などに通って訳し方のコツのようなものを教わることもありますが、出てくる題材は毎回違うので、どこかで習った手法ですべての翻訳案件に対応できるわけではなく、毎回悩みながら訳します。悩んだ末にひねりだした訳語というのは翻訳者にとっては宝物のようなもので、大事にどこかにメモしておいたりするほどです。

 継続的に学習・訓練すれば、(正しい方向への)努力の量に比例して訳出は徐々に上手くなりますが、扱う分野の適性の見極めも必要ですし、実際の案件にたえうる実力を備えるまでには、比較的長い訓練期間が必要になるのがこの仕事です。バイリンガルなら誰でもできるわけではありません。社内のバイリンガルの人に気軽な気持ちで翻訳を頼むと、本人は影で泣きながら努力してやっているかもしれません。

③翻訳って英語じゃなくて日本語の勝負だよね(英日翻訳の場合)

 これは半分正しいですが、半分間違いです。英日翻訳の場合、英語ができればできるというものではないという話はすでにしましたが、かといって日本語さえ上手ければ(語彙力が豊富であれば)できるというものでもありません。もちろん、原文を読んで理解した内容を適切な日本語に置き換えるための日本語力は必要です。業界で使われている定訳を使うこと、それを調査することも必要ですが、それだけでも足りません。

 原文に書かれていることを過不足なくもう一方の言語に(※分かりやすく)置き換えること

 翻訳を一言で定義するならこうなるかと思います。(※ただし、これも時と場合によるのですが、例えば文学作品などで難解であることや意味深であることが味わいである場合、翻訳で分かりやすくしてしまっては台無しです)

 ただ、実務翻訳ではあまりそういうこと(味わいを残すために難解さも残して訳す)はないので、分かりやすく、読みやすくという部分は顧客からかなり求められる部分です。

 これは単に外国語に精通していて日本語の文章力が高ければ誰にでもすぐにできる作業ではないと言えます。

 海外生活が長かった人によくある現象ですが、日本人でも「日本語が出てこない」ということがあります。あることを言いたいのだけど適切な言葉が見つからない、というケースです。そういう時に翻訳者が適切な訳語を差し出すと「そうそう、それが言いたかった。やっぱりうまい翻訳者って日本語が上手いんだよね」と言うことがあるのですが、そしてそれは間違っていないですが、それだけではありません。

 上手い翻訳者が出した日本語が上手いと感じるのは、それが「原文を表すのにこれ以上ないくらいピンポイントで対応した訳を差し出した」からです。原文を無視して洗練された言葉や格好のいい言葉を適当に作り出したわけではなく、「原文をしっかり理解した上で適切な表現をもう一方の言語のプールから引っ張りだしてきて紐がけする力」があったからこそ、その日本語(訳語)を導き出すことができたのです。英語力と日本語力にプラスして、その2言語間に「橋を渡す作業」(2言語間の「橋」の話は以前、ランサムはなさんの言葉に出てきました)ができているからだと言い換えることもできます。

 要するに、日本語が上手いのは大前提ですが、その上手い日本語は「本当に原文が言っていることを正しく反映していますか」という話なのです。

 SNSで以前読んだ話ですが、ある会社にどんな難解な英語でもたちどころにスラスラ訳してしまうすごい人がいたと。とても読みやすく、分かりやすい文章でみんなが感激していて、と。ところがある時偶然その人が原文を目にしたところ、訳文と内容がまったく違ったというのです。恐ろしい話です。

 プロの翻訳者でこんなに極端な仕事をする人はまずいないと思いますが、社内で「ちょっと語学が得意な人」が訳すとこうなることは十分考えられます。

「日本語さえ上手ければ翻訳できるわけではない」というのはこういう意味です。

④とりあえず英語になってれば(日本語になってれば)イチから訳すより楽だよね?

 翻訳者が言われるとイラッとする言葉のひとつに

意味が分かればいいから(速く訳して)」というものがあります。依頼する人はそんなに細かい表現にこだわったりしないで細部は端折ってもいいから「書いてあることの概要をつかみたい」、できれば早くしてほしい、ということだと思うのですが、それを聞くと内心(それが一番難しいんだよっ)と思います。

 意味が分かるように訳すことでエネルギーの8割は使っています。というより、訳出の前に、原文の意味を把握するところまでで翻訳作業に使うエネルギーの8割近くを使っています。一般の人には残りの2割の表現力に注目が集まってターゲット言語の運用能力に注目が集まりがちというのは上で述べた通りですが、実は前半の読み込みと調べものに時間がかかっているというのは先日の記事でも述べた通りです。

 例えば学生アルバイトなどを使って翻訳してもらった場合、「ここちょっと意味が分からなかったのでとりあえず直訳しておきました。チェックして間違っていたら適当に直しておいてください」と渡された訳文があったとしたら、その部分は間違いなくイチから訳すのとほとんど同じ工数がかかります。

 翻訳者や翻訳チェッカーが翻訳チェックをする場合、原文と訳文の両方を読んでクロスチェックを行います。訳文だけを読んで引っかかる部分だけ原文に戻って確認するやり方をする校正方法もありますが、通常、翻訳チェックと言えば原文と訳文の両方を読みます。

 何度も言っていますが、翻訳の価値はまず「意味が分かること」です。読んでも意味が分からない文章は翻訳としての価値はありません。無地のTシャツよりプリントTシャツがいいよね〜、というようにデザインとしての文字としてなら「とにかく横文字になっていればいい」ということもあるかもしれませんが、翻訳の依頼が発生する場でそれはまずありません。翻訳を依頼する側は「意味を知りたくて」または「意味の伝わる文を作成して欲しくて」頼んでいるので、「意味分からなかったけどとりあえず適当に訳しました」という文章は、一旦消してイチから書き直しとなります。

 書いた人に下手に気を使ってその意味の分からない文を多少なりとも生かして(残して)訳文を作成してくれなどと言われた日には、かえって時間がかかることさえあります。

 プロの翻訳者が訳したものを別の翻訳者、あるいは翻訳チェッカーがチェックする場合は、基本的には「そのまま顧客に渡せるレベル」の翻訳をチェックするからこそ翻訳スピードの約2分の1から3分の1の時間でチェックできるのであって、「合っているかどうかも分からない、文法的な誤りも含まれているかもしれない、読んでも全く意味が分からない」文章に手に入れるぐらいなら、イチから訳した方がよっぽど早い、ということは少なくありません。

 他人の訳には難癖をつけたくなるだけではないのか、と言われることもありますし、実際そういうこともあります。訳文のスタイルには好みがあるので、いくら上手く訳せたと思って出しても編集者に思い切り手を入れられるということはプロの翻訳者でもあります。

 しかし、そういうレベルの校正や編集と、「そもそも意味を成していない奇怪な訳文もどきに手を入れる」ことには雲泥の差があります、ということは一度しっかり説明しておきたいと思いました。

翻訳者たちって、自分の仕事がなくなると困るから新人のやる気をそぐようなことを言ってるんじゃないの?

 全くの誤解です。仕事はいくらでもあります。きちんとした仕事をしてくれるのであれば、それこそ言っていただければ仕事先もご紹介できます。翻訳者の手が足りていない、この業界は慢性的な人手不足だ、などと言いますが、翻訳をやってみたい、翻訳者志望者は昔からたくさんいます。

 しかし、上でも述べた通り「ここ間違っているかもしれないので違っていたら直しておいてください」とか「ここ分かりませんでした」などと言うような学生アルバイト気分の人には後始末が大変なので仕事を出せないのです。

 ちゃんと訳してくれる人がいるなら訳して欲しい、翻訳待ちの資料や作品は世の中に膨大にあります。腕のいい翻訳者を確保できるなら、「あれも訳したいこれも訳したい」と思っているが、訳せる人がいないから市場に出てきていない、という仕事もおそらくたくさんあると思います。(企業内の独自用語や専門用語を社外の翻訳会社に発注して訳してもらうには機密上の問題があったり、そもそも専門的すぎて外部の人には訳せないこともありますが)

 仕事がなかなか来ない人から見ると決まった量のパイの食い合いで、仕事は早いもの勝ち、先にありつかないと取られてしまう、という世界のように感じるかもしれませんが、それも誤解だと思います

 仕事が来ない人はおそらくコスパが合わないからです。厳しい言い方になってしまいますが、払うお金以上の価値が感じられないから注文が発生しない、ということだと思います。これは市場原理です。(実力があるのに仕事と結びついていない人はマーケティング不足の可能性もあります。これについては後日別の投稿で話します)

 上手で料金も良心的な翻訳者のところには、毎日徹夜したとしても受けきれないくらいの注文がコロナ禍以降でも集中しています。私が知っている翻訳者の方も、例外なく毎日忙しいと言っています。これは自慢とかそういう話ではなく、単にコスパがいい商品はよく売れている、という単純な市場原理の話です。

 2019年から2020年にかけて大いに物議をかもし、このブログでもたびたび警告を発した悪徳翻訳講座の主宰者は受講生たちに対し、「ベテランの翻訳者たちは自分たちの仕事を奪われるのを恐れて翻訳は簡単ではない、と言っているだけだから気にしなくて良い」と指導していたようですがとんでもない誤解です。

 むしろ、断っても断っても「そこを何とかならないか、お願いだあなたしかいない」と泣きつかれて困っている、そんなことを言われてももうこれ以上は受け切れないから泣く泣く断っているが、もっと優秀な翻訳者が増えてくれればいいのに、と思っている翻訳者はたくさんいます。

 他にもたくさんの誤解がありますが、やはり一番に言えるのは繰り返しになりますが「翻訳は単なる言葉の置き換えではない」ということです。人間が原文を読んで考えて、自分の読書経験、職歴、人脈、人生経験のすべてをつぎ込んで訳しているのが翻訳です。翻訳者にモーションキャプチャーをつけて仕事ぶりを読み取ってAIに翻訳させることも、現段階ではまだできないでしょう。

 長くなってしまいましたが、翻訳者の仕事を少しでもイメージしていただけましたら幸いです。

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