2022年2月20日日曜日

雇ってもらう先を探すのではなく、自分の商品を売る先を探すという視点で考える

■ 翻訳者と顧客は雇用関係にない

 翻訳者が仕事を探すとき、まずは求人サイトに行きますが、そしてそれはアクションとしてひとつも間違っていないのですが、残念なことに無事に翻訳会社に登録を果たしてもそれがすぐに仕事に直結しないことがあります。

 誤解されやすいのですが、フリーランスの翻訳者が翻訳会社に登録を果たしても、それだけでは両者の間に雇用関係は発生していません。契約書を交わし、秘密保持契約などを済ませたら、あくまで「次から何か頼みたいことがあったらいつでも頼める」状態になっただけです。

 顧客は一度頼んでみて気に入らなければ別の人に頼みますし、翻訳者も一度頼まれたからと言って次からも絶対に継続案件を受注しなければならない義務もありません(そういう契約になっている場合を除きます)。

 たとえて言うなら、新たに知り合った人とLINE交換をして、「またそのうちランチに行きましょうね」とあいさつ代わりに言って別れる状況と似ています。連絡先が手に入ったので、どちらかから誘えばランチは実現しますが、日にちを決めたわけでも店を予約したわけでもないので、お互いに何もしなければ何も起こらない、という状況と同じです。

 これに対して、正社員や契約社員、派遣社員という形態で雇用されていれば、平日午前9時から午後5時まで決まった場所に出勤して翻訳作業をするか在宅勤務でも同様の勤務時間に翻訳作業に従事するなど、雇用契約が成立した後からすぐに仕事が発生します。

 そうではないフリーランスの翻訳者にとって、「翻訳会社への登録」はあくまで「今度頼む時があったら頼みますね」という、ランチの口約束と同じ状態に過ぎず、継続的な仕事発注に結び付けるにはもうひとつ別の視点が必要になります。

■自分という商品を顧客という消費者に売るという視点で考える

 よく仕事が来ている翻訳者のことを「売れっ子翻訳者」と呼ぶように、フリーランスには売れている人と売れていない人がいます。その違いは何かというと、必ずしも日ごろから営業活動をめちゃくちゃ必死でしているかどうかの違いではなく、シンプルに「自分の魅力が顧客に十分に伝わっているかいないか」だと思います。営業など一切していないのに、口コミで評判がどんどん伝わって、仕事がいつも途切れない翻訳者もいます。

 魅力が伝わるかどうか以前に、まず「自分の存在が知られていない」翻訳者もいます。どこで売っているか分からない商品を消費者は買うことができないので、「ここで売っていますよ」と宣伝する必要があります。それが各種ディレクトリなどへの登録や自分のウェブサイト作成などにあたると思います。

 また、宣伝は十分なのに一度発注が来ても二度目がない、という場合は残念ながら商品に魅力がなかった可能性もあります。「義母と娘のブルース」というドラマをご覧になったことがある方もいらっしゃるかもしれませんが、わざと客がよく通る時間帯にパンが焼きあがるようにして匂いで客を引き寄せても、結局パンが美味しくなければリピーターはこない、むしろ宣伝した上に美味しくないパンを売ると「あそこのパンは美味しくない」という印象を持たれてしまって次から売れない、ということがあります。

 宣伝するなら良い商品を用意しなければならない、というのがまずはフリーランス翻訳者の課題です。

 「なぜ雇ってもらえないのだろう」と考えるのではなく、「自分の商品はなぜ売れないのだろう」というマーケティング目線で考え始めると、現在の自分にとっての課題が見えてくるかもしれないと思います。

■翻訳者にもマーケティングの視点が必要

 そのことに改めて気づいたのは、先日(2022年2月3日)私のInstagramアカウントでインスタライブを行った際に、そのイベントにタイトルを付けたときのことです。そのライブの目的は翻訳者志望者から翻訳者への質問を募り、複数の翻訳者でその質問に答えるというものでした。

 マーケティングに詳しいある方と一緒に企画していたので「何かキャッチ―なタイトルをつけて欲しい」と頼んだところ、「翻訳者のたまごをあたためよう」というタイトルが出てきました。

 これは素晴らしいと思ってそのタイトルを含めて事前告知したところ、想定を超える数の方に視聴いただいて、イベントは大いに盛り上がりました。

 それまでにも翻訳者志望者や学習者を対象にして翻訳者が質問に答えます、という機会はいろいろと作っていたのですが、音声SNSアプリのサービスでルームを開いてみてもいまいち質問者が現れず、アドバイスできる翻訳者ばかりが集まってイベントが終わってしまったこともありました。

 今回は新たにInstagramという媒体を使ったことの効果もあったかもしれませんが、私はこの時にタイトルの偉大さ、キャッチコピーの大切さを改めて思い知りました。

 私が翻訳者志望者の人たちの質問を拾いたい、それに答えたいという思いを持ったのは、このブログでもかねてから警告を重ねている高額な悪徳翻訳講座に引っかかって欲しくない、見えづらい翻訳者への道を示すことができればそういう変なものに引っかかる人も減るかもしれないという思いからだったのですが、これまでどうすればそういう人たちから実際に質問を受け付けることができるのか、把握できていませんでした。

 「翻訳者のたまごをあたためる」という温かいメッセージが「刺さるコピー」となって、今まで翻訳者と交流できる場を知らなかった人たちの目にまで届きました。イベントが終わってからも、「あのタイトルが良かったよねえ、ほんとに」とその人に何度言ったか分かりません。

 フリーランス翻訳者が客先に自分の商品(「翻訳」)を売りたい場合も同じだと思いました。買ってくれる人に自分を見つけてもらうというマーケティングの要素が、翻訳者にも必要ではないかと改めて思ったのです。

■自分の魅力の棚卸し

 そういう視点に立って自分の仕事を振り返ってみました。すると、「私の仕事には何の特徴もないし」「医療とか特許とかマーケティングとか、これと言って強みがない」と思っていたのですが、いろいろ考えているうちに私は以前製造業で社内翻訳をしていたことを活かせるのではないか、そして翻訳の品質を製造業の用語でたとえてみたら面白いのではないかということを思いつきました。

 私がいつも翻訳の際に心がけていることは「ちゃんと意味が分かる文章になっているか」ということでした。

 そのためにはインターネットを使った事実の裏取りリサーチや幅広く辞書で調べること、リサーチで得た情報から論理的に推理をして話の流れを見落とさずに訳していくなどの工夫が必要なのですが、分野をひとつに絞らずいろいろ受注している自分にとってもこれは一つの特徴になるのではないかと思いました。

 そういう考えをいろいろとめぐらせているうちに「意味が分かる翻訳」という言葉がふと浮かんだのですが、すぐに「当たり前やないかい!」という自分のツッコミの声が聞こえてきて、「当たり前品質」という言葉が頭に浮かびました。(当たり前品質とは製造業の用語です。これについてはまた後日別の投稿で話します)

 翻訳の当たり前の品質とはなんだろう、翻訳の品質とはなんだろう、顧客に喜ばれる品質とは何だろうと考えながら、実際の翻訳作業をしていると、いつもより良い翻訳ができるような気さえしました。

 我々職業翻訳者は普段一生懸命翻訳の仕事をして顧客に納めているので、こういったことは考えたことがなかった人も多いと思うのですが(少なくとも私の場合はそうでした)、「雇ってもらえるかもらえないか」ではなくて「自分の商品が売れるか売れないか」の視点で自分の強みを捉え直すと、見えてくるものもいろいろあるかもしれないと思った次第です。

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