2017年7月14日金曜日

コラム:翻訳は「コスト」か


コラム:翻訳は「コスト」か

翻訳者の立場から言うと、翻訳は時間と労力を伴う知的作業であるため、働いた分に対する報酬を得たいというのは正直なところですが、依頼する方からすると「仕事にしてるぐらいなんだから簡単にできるんでしょ」と感じるのか、あるいは「ただひとつの言語を違う言語に置き換えるだけなのに何でそんなにお金がかかるの」と思うのかは分かりませんが、「翻訳料金は高い」と感じている人が多いというのは事実です。

しかし、いくら翻訳には目に見えた原材料費がないからと言って、「高いから、安くしろ」という要求にすべて応えていたのでは、翻訳業は仕事として成り立ちません。
もちろん、親や友人や知人から、少量の翻訳を「ちょっとお願い」と言われて助けてあげるのは、好意の範囲内でやってあげて全く構わないと思いますが、無償もしくはそれに近い値段で無理してやる必要はないので、報酬はきちんと請求して良いと思うのです。

翻訳が「コスト」だと感じてしまう背景には機械翻訳の劇的な品質向上があると思います。原文を入力して「翻訳」ボタンをクリックすれば一瞬でターゲット言語に変換されます。

すでに報道などでご存じの方も多いと思いますが、特に2016年10月以降のグーグル翻訳の発展は目覚ましく、実際に原文を入れてみるとそのすごさに驚きます。構文が複雑でない一般的な内容ならば、ものの数秒で「だいたい何を言っているのか分かる」翻訳を出してきます。

「タダでここまでやられちゃかなわないよなあ」と、正直思ってしまいますが、やはり、関係代名詞に次ぐ関係代名詞で一文が長々と続くような複雑な構文の文章や、言葉のセンスが要求されるような文学作品では、まだまだ笑ってしまうような翻訳結果もあります。

翻訳にお金を出す価値があるのは、「自分にはできない」「機械にはできない」場面においてです。英語が全くできない人は、機械翻訳の結果が「良いか悪いか」も判断できないので、そのまま鵜呑みにすることは怖くてできないでしょう。また、複雑な構文の内容をただブツ切りに切って前から訳した機械翻訳では、「大意をつかめれば良い」と思って読んだとしても理解できないでしょう。

「翻訳の良し悪しを見極める語学力」
「原文の論旨をしっかり追って、内容を把握する理解力」
「読みやすい訳文を練り上げる構成力」

機械翻訳が発達して「翻訳コストをいかに切り下げるか」という流れが加速するなか、「高コストの」我々人間の翻訳者に今後も活躍できる余地が残されているとしたらこれらの部分だと思います。
「やっぱりプロに頼んで良かった」と言われる翻訳者でありたいなあ、と思います。

 

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